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たぜんさんのから泳ぎ

 たぜんさんが、宮地(みやじ)ん町から帰りよる時の話たい。化粧原(けしょうばる)を出て至極(しごく)の手前まで来ると、急に根子岳(ねこだけ)の方が暗くなって、やがて大雨になった。

「昔から、根子岳夕立や屁もひりあわせんち、よう聞いたもんじゃが、ほんなこつばい。」

たぜんさんな、川っぷちの家の軒下(のきした)で独(ひと)り言(ごと)を言いながら雨宿(あまやど)りばしとった。

「夕立にゃちょっと長か雨ばい。」

と、着物にしみこんできた雨水のひやりとした感じに身を縮(ちぢ)めて、雨が上がるとを待っとったが、なかなか止みそうな気配(けはい)もなし、思いきって雨の中へ飛びだした。川は水かさを増して、沈(しず)み橋もどこにあるかわからんごつなっとったんで、着物のまま泳いで渡る事にした。流れが速いんで、なかなか思うように進めん。ところどころ背のとわん(立たない)所もあって、懸命(けんめい)に水ばかきながら泳いだつばってん、一向(いっこう)に岸に着かぬ。

「おかしかなあ、さっきの雨ぐらいで、こげん水が増えるのも不思議(ふしぎ)ばい、川幅も広うなっとる。どうもおかしか。」

何度も流されそうになりながら、やっと岸に這(は)い上がり、やれやれとぬれた着物をぬいで溜息(ためいき)をついたったい。川岸にゃ藪(やぶ)があって、椿(つばき)の木が川原に枝を出したように葉を茂らせとる。いつの間に雨はあがっとった。日が照って蒸(む)し暑いような天気になってきた。おまけに椿の木の下にゃ、赤々と焚(た)き火(び)が燃えとったんで、たぜんさんな着物を乾かして帰ることにした。よか按配(あんばい)、着物も乾いたごたるし、天気もようなった。たぜんさんな、ほんなこつよか気分だった。

「今帰ったばい。」

家じゃ、おっかさんと嫁(よめ)ごが夕飯の支度(したく)ばしよらす。

「えらい雨だったなあ。いっときゃ、どしゃ降りじゃったばい。至極(しごく)の手前で雨宿りばしとったばってん、やがて止んでくれたんで助かった。あんくらいの雨で、川ば渡れんごつなったつは、おかしかちゃ思うばってん、とにかく泳いで渡ったばい。」

おっかさんと嫁ごは顔を見合わせて笑い出した。

「あんた何ば言いよっとね。」
「雨なんか降らじゃったばい。」

代わる代わる二人が言うもんで、たぜんさんな、むきにならした。

「そぎゃん言うたっちゃ、ほんなこつ椿の木の下で着物ば乾かしたっだけん。」
「そりゃおかしか。そぎゃん大雨の降ったつに、何で火が燃ゆるかいた。」
「ふうん、そういやそうたい。ばってん確かに着物が乾いたばい。」
「あんた、狐(きつね)にでん化(ば)かされるとるとじゃなかな。そうそうきっとそうに違いなか。」

嫁ごは決めつけるごつ言うもんだけん、とにかく川まで行ってみることにさした。行ってみると、椿の木の下には真っ赤な花が掃(は)き寄せてある。

「なあんかい。火が燃えとるち思たつは、散(ち)り椿かい。」

そして、川向こうの蕎麦畑(そばばたけ)の白い花は散々(さんざん)踏(ふ)み荒(あ)らされとる。荒らしたつは、たぜんさん自身に違いなか。たぜんさんな、ううんと唸(うな)ってしまわした。そうしてこの前、狐の巣穴(すあな)を見つけた時、入口ば石でふさいだこつば思い出した。畑ば狐に荒らされて、むしゃくしゃしている時だったんで、あんな事をしてしまったが、後から子狐を連れている母狐の姿を見た時に

「ああ、子育て中だったのかあ。」

「子に餌(えさ)ばやるためだったつばい。そっであぎゃん畑ば荒らしたっちゅう訳だったつばい。こっちがやって、今度は狐にまんまと仕返(しかえ)しされたちゅう訳か、これがほんとのいたちごっこ、いや狐ごっこか。」

と、たぜんさんな考えたが、腹(はら)は立たんだった。ただ蕎麦がらで引っかいたらしい傷跡(きずあと)が、顔や手足に無数(むすう)についとって、いつまでも残っとるんで、会う人ごとに訳を聞かれるのが、のさんこつじゃった。

たぜんさんの独り言

「狐や狸(たぬき)にゃ、あんまかかわらんがよかなあ」

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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