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なばの泣き堰(ぜき)

 北外輪山(きたがいりんざん)のふもとの村で、鹿漬川(しつけがわ)を堰(せき)止めて、田に水を引き入れる工事をすることになりました。鹿漬川の水は根子岳(ねこだけ)・高岳(たかだけ)・中岳(なかだけ)・往生杵島岳(おうじょうきしまだけ)、そして北外輪の水も集めて流れるのですから、水かさも多く、堰止める工事はなま易(やさ)しいものではなかったのです。昔のことですから、今のような機械はなくて、みんな人手(ひとで)に頼り、工事は大がかりなものでした。

 なばの力はこんな時には大変(たいへん)役(やく)にたちました。どうしても動かないような大きな岩もなばは三声(みこえ)、四声(よこえ)大きな声で泣き叫びながら岩をかかえました。
 大きな杭(くい)を川の中に何本も打って竹を渡し、しがらみをかけるのです。そこに岩や石を積み上げて川の水を堰止め、そこから水は水路をつたって田んぼに導かれます。ですから、この堰は人々の暮らしを豊かにしてくれる大切なものなのです。

 なばは一生懸命に岩や石を運び続けました。なばの力がなくては、もっと日にちがかかってしまい、今年の稲つくりには間に合わなくなってしまったかも知れません。すっかり工事が終わって、村人たちは大喜び、

「さあ、これで田んぼの水も世話なしばい。」

と、酒もりをして、堰の完成を祝(いわ)ったのでした。

 翌朝、昨夜(さくや)のお酒のせいで、すこし頭の具合がよろしくない村人たちは、水の流れ具合を見にやって来ました。そしてさえない頭にかぶった手拭(てぬぐ)いで目頭(めがしら)をこすってみました。

 堰の一部が壊れて水がどんどんもれているのです。もちろん水路には水は流れていきません。一番大きな石がなくなっていたのでした。

 よく調べてみると、なばの運んだ石だったのです。そして不思議(ふしぎ)なことに、その石はまた元のところに戻っているというのです。大石(おおいし)は小嵐山(しょうらんざん)と呼ばれている山の中腹(ちゅうふく)から運んだものでした。

 なばも首をひねりながら、また川まで運んできました。でもやっぱり、翌日は元のところに戻っています。なばは意地になっていました。毎日その石を運んでくるのに、翌日は山の中腹にかけ上っている大石の秘密は、どうしても解けません。なばも、とうとうあきらめました。他の石を使うことにしたのです。

 何回も何回も泣きながら運ばれた石には、なばの涙がどれだけ流れたことでしょうか。なばの泣き堰の由来(ゆらい)はこれで終わりですが、すがた形は変わっても、この堰はいつまでも残ってその役目を果たしていくことでしょう。
 一方、大石のほうも小嵐山の中腹にドカンと腰(こし)をすえて「わたしはここが好きなんですよ」とでもいうように、長い年月をそのはだに刻みながら、阿蘇の厳しい気候にたえ、がんこに大地に張り付いているのです。

 「なばの泣き石」いつまでもお元気というところですか。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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