ホーム > 宗不旱

宗不旱

概要

明治17年(1884)5月14日~昭和17年(1942)5月
父嘉次郎の長男として熊本市上通町に生まれ鹿本郡鹿央町来民の祖父の家で育ちました。
長崎の鎮西学院卒。熊本医学校を中退して上京、窪田空穂を知って短歌を志しました。のち朝鮮、中国各地、台湾を10年にわたって放浪、その間に中国の詩書を学び、作研の技を覚えて帰国。硯工不早・不早研人などと称して花田比露思主宰の「あけび」によって短歌および歌論を発表し、松村英一の「短歌雑誌」に現代歌人論を連載し注目されました。大正14年(1925)「新釈柿本人摩歌集」を出しました。
昭和4年に歌集「筑摩鍋」を、16年に第二歌集「茘支」を出版。
しかし、反俗の性格から歌壇に背を向け、窮迫と病児に悩みながら作硯を業として各地を放浪、漂泊の歌人として愛惜(あいせき)され、17年5月阿蘇・内牧の宿を出たまま消息を断ちました。のち鞍岳山中にてこの世を去りました。


カテゴリ : 文化・歴史
索引 :

このページのURL:

TOP