小学校/波野小学校区
更新日: 2010-03-20 (土) 17:15:02 (5142d)
波野小学校区の紹介
波野地区(なみのちく)の草原(そうげん)には、ハナシノブやケルリソウなど、貴重(きちょう)な植物(しょくぶつ)が数多(かずおお)くあります。
また波野地区では、恵(めぐ)まれた自然(しぜん)と伝統(でんとう)ある文化(ぶんか)を活用(かつよう)した地域(ちいき)づくりが行われ、中江(なかえ)岩戸(いわと)神楽(かぐら)・横堀(よこぼり)岩戸(いわと)神楽(かぐら)が有名(ゆうめい)です。
波野小学校にも子ども神楽部(かぐらぶ)があり、保存会(ほぞんかい)の方(かた)の指導(しどう)を受(う)けながら練習(れんしゅう)に励(はげ)んでいます。
毎月初(まいつきはじ)めには、定期公演(ていきこうえん)に出演(しゅつえん)しています。
中江岩戸神楽
中江岩戸神楽の起源(きげん)は、江戸時代に大分県から伝わったものとされています。
大分県の御嶽神社(おんだけじんじゃ)の神官(しんかん)が伊勢神楽(いせかぐら)・出雲神楽(いずもかぐら)・高千穂神楽(たかちほかぐら)を合わせた神楽を構成(こうせい)し、それを普及(ふきゅう)させていったものが、中江にも伝わったとされています。
中江に伝わった神楽は、中江集落(なかえしゅうらく)の荻神社(おぎじんじゃ)に奉納(ほうのう)され、今日(こんにち)まで中江の人々(ひとびと)によって保存継承(ほぞんけいしょう)されています。
明治(めいじ)井(せい)路(ろ)
米作(こめづく)りにはたくさんの水が必要(ひつよう)です。
しかし、波野は川の水が少なく、深(ふか)いところを流(なが)れていたため、水田(すいでん)にすることが難(むずか)しかったそうです。
そのため、水田があるところは限(かぎ)られており、数もわずかしかありませんでした。
そこで、赤仁田地区(あかにたちく)に水を引くため、トンネルを掘(ほ)ったり、石に穴を開けた樋(とい)をかけたりして、約3㎞の水路(すいろ)を完成(かんせい)させたそうです。それが明治井路です。
水路の完成によって、実に波野地区の半分(はんぶん)近くの水田が潤(うるお)されました。
参勤交代道の石畳(笹倉)
江戸時代、熊本のお殿様(とのさま)が参勤交代(さんきんこうたい)のとき、熊本から大分の鶴崎(つるさき)までの約30里(り)(120㎞)を通った古い道(豊後街道(ぶんごがいどう))の一部(いちぶ)が、笹倉(ささくら)から産山村に行く途中(とちゅう)に残っています。
この参勤交代の道は「殿様道(とのさまどう)」とも呼ばれ、昔は石を切って敷(し)いた石畳(いしだたみ)がありました。
昭和の初めの頃までは、松並木(まつなみき)も見られたそうですが、道の改修工事(かいしゅうこうじ)で石は取(と)り除(のぞ)かれました。その後、復元(ふくげん)された石畳が保存(ほぞん)されています。