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左京(さきょう)が橋(ばし)

 昔の話です。阿蘇(あそ)の中岳(なかだけ)、阿蘇神社山上本堂(あそじんじゃさんじょうほんどう)近(ちか)くに、ごく小さな橋がかかっておりました。橋といっても、板を渡したばかりの簡単なものだったようです。この橋を渡らねば、お池(いけ)さんにお参りすることはできません。阿蘇の火口には神霊池(しんれいち)と呼ばれる池があり、その水の色の変わるのを見て吉凶(きっきょう)を占ったと伝えられています。阿蘇の火口を見物するという軽い気持ちではなく、神の宿(やど)る場所へのお参りというのが、阿蘇登山をする意味になっていたのです。

 あるとき、険しい山道を若い侍が登って来ました。左京という名の侍です。左京がこの板橋を渡ろうとすると、橋のたもとに小さなヘビが横たわっております。

「わしの行く手を邪魔(じゃま)する気か。こしゃくなヘビめ。」

 若い左京は、血気(けっき)にはやって腰(こし)の太刀(たち)を抜き払い、ヘビめがけて切りつけたのです。すると、にわかに風がおこり、雲を呼んで真っ黒な渦巻(うずま)きになりました。

 ヘビはみるみる大きくなって竜となり、渦巻きの渦に乗って空に昇っていったのです。
 左京は地にひれふし、わが身の無事を祈っていました。しかし、その後不幸なことに左京は病気になり、日に日に病は重くなって、とうとう亡くなったということです。

 こんなことが起ってから、この橋を「左京が橋」と呼ぶようになりました。この橋を渡ろうとする者で、悪い心を持っていれば、結(ゆ)っている髷(まげ)がたちどころに解けてしまい、顔つきまで鬼のように変わってしまうというのです。

 無事に橋を渡ることのできたものは、正直な人として肩身(かたみ)が広いのですが、そうでなければ「人でなし」と言われることにもなりかねないとされたのです。

 古い歌に

「昔にきく 左京が橋に来てみれば まこといおうの 匂(にお)いこそすれ」

と言うのがありますが、これは「有名な左京が橋にやって来ると、人の噂どおり本当に何か起りそうな気配(けはい)が漂(ただよ)ってきますね」といった意味の歌だと思います。また、「まこといおう」は「言おう」と「硫黄(いおう)」のかけ言葉になっており「まこと言おう」と「硫黄の匂い」とが重なった言い方になっているのです。

 また、別の話で次のようなものもあります。その話では「左京が橋」ではなく「写経(しゃきょう)が橋(ばし)」となっています。西巌殿寺(さいがんでんじ)を開いた西栄(さいえい)という人が、写経(お経を書き写すこと)をこの橋の下に埋めたと伝えられています。もし、心のよこしまな人がこの橋を通ろうとでもするなら、そのお経の力によって、どうしても先に進むことができなくなるといい、女の人の場合、結っていた髷も解けてしまうというのです。

 熊本のある町に心がけの良くない二人の娘がいました。親の仕事を手伝っていましたが、米を売るのに秤(はかり)をごまかして商(あきな)いをしていたといいます。その二人が連れたってお池参りにやってきました。

 さて、写経が橋を渡ろうとすると、やけどしそうな熱いお湯が急に湧き出てきたのです。逃げ出した二人の後を追っかけるように、お湯が生き物のように迫(せま)ってくるではありませんか。二人の娘はやっとの思いで逃げ延びたのですが、きっと思い当たることがあったに違いありません。

 やはり、古い歌で、

「うそ言わば 口がしゃきょう(「写経」と「裂(さ)けよう」の2つの意味があり)の橋にきて まこといおう(硫黄)の匂いこそすれ」

というのが伝えられています。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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