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水乞(みずこ)い鳥(どり)

 阿蘇の岳(たけ)川(がわ)のほとりに、忠(ちゅう)よみという名前の子どもがいました。忠よみの家はお百姓(ひゃくしょう)さんです。忠よみは毎日牛の世話をするのが仕事でした。お父さん、お母さんは田畑の仕事に精(せい)を出していました。

「牛のことは頼んだよ。水を飲ませるのを忘れたら大変だからね。」

お父さん達は、今日もそう言って野良(のら)仕事(しごと)に出かけて行きました。

「大丈夫。忘れたりしないよ。」

忠よみは毎日のことなので、気軽にこたえました。忠よみは遊びざかりの子どもです。遊びに夢中になり、つい忘れそうになることだってあるでしょう。

 でも、牛に水を飲ませるのは、絶対忘れてはいけないことでした。お百姓にとって、一番大切な牛を死なしてしまうことにでもなったら、大変なことになるのですから。でも、忠よみは、その大事なことを忘れてしまったのです。

 あんまり遊びに夢中になりすぎて、つい時のたつのに気がつかなかったのでした。岳川の土手には牛の大好きな草がたくさんあるのですが、つながれた綱(つな)の長さだけしかとどきません。川の水はすぐそばを流れているのに、自分では飲むことは出来ないのです。

 忠よみがいつもちゃんと、水桶(みずおけ)に川の冷たくてきれいな水を汲(く)んでいたのに、その日は遊びに夢中になってすっかり忘れていたのでした。真夏(まなつ)のお日様が一日中照り続ける土手の上で、牛は水を待ち焦(こ)がれていました。その日、水が飲めなかった牛は、それがもとで体が弱りとうとう死んでしまいました。忠よみは泣きながら牛を川ばたに埋(う)めたのです。

 そして、ずっと泣き続けました。自分の不注意で起った出来事が悔(く)やまれてなりません。いくら泣いてもどうにもならないことは分かっています。でも、悔し涙は止まらないのです。泣いているうちに、鳥になりました。

 それから「ゴーワ、ゴーワ、キキキキ、フーレ、フーレ」と鳴きながら、川を上り下りする鳥のことを、忠よみ鳥と呼ぶようになりました。

 忠よみ鳥は、雨が降って川の水が増え“牛が水を飲めますように”と祈っているのかもしれません。あるいは、“雨が降りすぎて牛が流されませんように”と鳴いているのかもしれません。

「ほーら、忠よみ鳥が鳴きよるばい。あしたは雨じゃろか。」

おばあさんが、そう言いながら空を眺(なが)めてでもいたら、翌日は多分雨になるでしょうね。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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