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浜の館

神話

阿蘇則高と浜城(ハマヤカタ)

 阿蘇則高の頃、阿蘇家は阿蘇、益城(マシキ)、飽託(ホウタク)、宇土の五郡八千町を治めておりました。阿蘇谷のほぼ中央部にある二辺塚(ニベヅカ:贄塚、ニエヅカ)に浜城を築き、住まいを浜の館と呼びました。二辺塚の回りは牛馬の入れない牟田(ムタ)地と呼ばれる沼地だったのです。田川、甲賀、下原、折戸、千町、等はみな牟拍という名がついており、人や馬がたやすく通れない湿地だったのです。
 その頃は、武士の勢力がだんだん強くなっていく時代でした。阿蘇家は火を吐く山、阿蘇をうやまう信仰のおかげで中央(大和朝廷)に大変信頼されておりました。
 そのため、勢力をだんだん強くしていきました。五郡八千丁を守るためには、武士の力を強め、城を築かねばならなかったのです。その後、阿蘇には大友氏や島津氏が攻めてきました。戦いの結果、そのたびに城や館が変わったのです。
 浜の館には、お宮も建てられており、阿蘇神社七の宮・新彦神・八の宮・新比嘩神、九の宮・若彦神が祭られています。

参考

くらしのあゆみ 一の宮 -一の宮町 伝統文化研究会-


カテゴリ : 文化・歴史
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