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砂千里ヶ浜の噴火

概要

明治39年(1906)6月7日に第四火口南側の砂千里ヶ浜で噴火が起こりました。
火口は初めに九尺(約2.7m)四方程度でしたが、その後、噴煙活動が活発になり、約一年後の明治40年(1907)7月には東西四間(約7.2m)南北八間(約14.4m)、深さ八間(約14.4m)余りの大きさになりました。
明治四二年(1909)の四月には南北六十六尺(約19.8m)、東西50尺(約15m)まで広がりました。また、火口の北側には経12尺(3.6m)の大石が噴出し、南側には高さ25尺(7.5m)の噴出物による火砕丘が生じたが、噴出物には新しい溶岩片などの本質物はなかったようです。噴火の起こった場所は現在、斜面の火山灰やスコリアなどで埋められてしまい、はっきりしなくなっていますが南側の斜面に火山灰丘の残骸をわずかに残す浅く広い谷が認められます。

この噴火は中岳にとって、第一火口から第七火口までを取り巻く最新期火砕丘の外側で起こったことがはっきりしている唯一の例です。このことは、今後の噴火も連合火口の内側に限定できないことを示しており、防災上重要な意味を持ち合わせています。

参考

阿蘇火山の生い立ち

カテゴリ : 阿蘇の自然
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