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肥後国誌

概要

昭和9年(1772)森本一端が著した肥後の地誌です。
肥後の地誌としては、すでに北島雪山の『国郡一統誌』(寛文9年=1669)、辛島道珠の『肥後名勝略記』(元禄2年=1689)、井沢蟠龍の「肥後地誌略」(宝永6年=1709)、成瀬久敬の「新編肥後国志草稿」(享保13年=1728)などがありますが、国志草稿は、それまでの地誌が社寺、古蹟を中心としたのに対して、郡村ごとに村高、枝村をはじめ、社寺・古蹟・陵墓など村落の実態を調査したもので、細川領のみならず天領天草郡、相良領球磨郡を含む肥後国の地誌でした。
森本一端、もまた「多年国内を廻歴し、諸家の旧記を校合し、名蹟の来由を県吏、村老にたずね、自ら其地に行って筆記した」と序文で述べていますが、成瀬の草稿をほとんど採用し、一部増補したにすぎません。
肥後国誌』刊本は明治17年(1884)ごろ水島貫之、佐々豊水らが森本本を増補して刊行し、これを大正5年(1916)後藤是山が上下2冊本としました。この時水島本で刊行されなかった阿蘇郡、球磨郡、天草郡は他本で補っています。昭和46年(1971)刊青潮社版『肥後国誌』上下は後藤本の復刻で『補遺・索引』編は阿蘇郡の一部、球磨郡、天草郡を国志草稿により補ったものです。


カテゴリ : 文化・歴史
索引 :

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