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草地利用

草地利用の歴史

草地利用の歴史は、我々の先祖が定住生活を始めた時代まで遡ると考えられます。
牛馬の飼料や茅葺屋根の材料を得る場として、草地は生活に不可欠な存在でした。
そして、森林への遷移を人為的に防ぎ装置を維持する技術は、文字の無い時代から開発されたものです。

記録に残された阿蘇における草地利用の最も古い事例として、「阿蘇郡畜産組合三十年小史」は、「延喜式」(905)第二十八巻に肥後国の二重馬牧と波良馬牧が記録されていることを挙げています。この二重馬牧阿蘇市二重峠付近と推定されますが、波良馬牧の場所については不明です。また、延暦・大同年間(782~810)に阿蘇味村が阿蘇牧監という牛馬飼育の責任者の地位にあったこと、内牧や外牧などの地名が存在することなどから、阿蘇における草原利用の歴史が長いことを述べています。

近代における草地利用-入会制度の発生

「黒川村史」(1986)は、熊本藩における入会制度の確立は加藤時代から細川時代にかけてであること、当時は入会(いりあい)催合(もやい)と呼んだこと。草地の利用が牛馬の飼料としての秣と水田の肥料としての刈敷(かしき)(青刈の草を緑肥に使うこと)であったことが記録されています。
近世における土地利用の展開と草地の利用の変化としては、草地は牛馬に飼料のためだけでなく、湿田における刈敷農法のためにも利用されるようになり、草利用と水利用とが一体となって近世の「むら体制」を維持・展開させてきました。
近世期の水田造成には草地の拡大が不可欠で、緑肥の供給源である草地は水田と一定の割合で存在する必要があります。水田一反(10㌃)に草地二~五反を養地としてつける慣行は全国的に多く存在していました。刈敷が現在の農耕技術の中から消えていったのは、簡便な化学肥料を使う近代農法が普及したからです。最近になって化学肥料多様に対する反省から、有機農法の重要性が叫ばれるようになりました。しかし、その実現が困難なのは、刈敷・厩肥・堆肥などの生産と利用には多大の労働力を必要とするためです。

カテゴリ : 阿蘇の自然
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