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豊後街道

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豊後街道(参勤交代道)
◎参勤交代とは、江戸時代に幕府が日本を治めるため、全国の大名の家族を江戸に住まわせ、大名の経済力を弱める制度のことです。
全国の大名は、1年おきに大勢のお供を従えて江戸へ出向いていました。

 肥後藩の参勤交代のメインルートは、阿蘇市を東西に走る「豊後街道」です。
豊後街道は、熊本~大津~阿蘇を経て、大分の久住~野津原~鶴崎港に達し、距離は約122㎞あります。
鶴崎港からは瀬戸内海航路~東海道~江戸となり、約1,025㎞です。
熊本から江戸までの日数は、早くて27日、悪天候になると55日かかったといわれています。
参勤交代では人と物が行き交い、各地の文化・経済・情報の交流が盛んになりました。

 街道沿いには杉並木が植えられ、1里(約4㎞)ごとに塚の上に榎を植えて目安としており、今でも名残として市内の8ヵ所(8~15里)に史跡が伝えられています。
また、参勤交代時の宿泊・休憩施設として、的石・内牧・坂梨・笹倉には「御茶屋」がありました。
参勤時に的石御茶屋で昼食休憩、内牧で宿泊、坂梨で昼食休憩、笹倉では休憩のようです。
特に的石御茶屋跡の間取り・庭園等は、当時のままの様式を残しています。

 豊後街道は阿蘇へ入ると、起伏が激しく火山灰土であり、雨が降ると道路の痛みがひどく復旧に手間が掛かっていました。
そのため峠では石畳の道が多くあり、中でも、標高差約190m、距離2㎞の「二重峠の石畳」は見事なものです。
また、滝室坂豊後街道一の難所と伝えられています。
こうした石畳は、当時から地域住民が頻繁に補修等を行って維持されており、年貢とともに相当な負担であったようです。

 近年は、道路網の発達により国道・県道の整備が進み、豊後街道は機能を終え山林中に埋もれていました。しかし、文化庁の補助事業等により歴史の道として整備・復元し、現在は貴重な歴史を伝える文化財として保存されています。
※「参勤」は江戸で幕府のために1年間勤めること、「交代」は勤めを終えて国へ帰ること

豊後街道沿いの市指定文化財(記念物)
 旧阿蘇町
  豊後街道二重峠石畳
  参勤交代道の檜
  的石御茶屋跡(庭園)
  小糸家の高野槙
  産神社の杉
  内牧菅原神社の椨
  明行寺の公孫樹
   〃  枝垂桜
   〃  山茱萸

 旧一の宮
  十二里木跡と石畳
  十三里木跡
  坂梨手永会所跡

 旧波野村
  参勤交代道
  参勤交代道石畳
  茶沸場跡
  カヲの墓
  十四里塚跡
  十五里塚

写真

資料

肥後藩参勤交代行程図

豊後街道経路図

参考

~文化財を大切に~  みんなで護ろう文化財



カテゴリ : 文化・歴史
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関連語句 : 農耕祭事

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