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赤毛肥後牛登録規定
更新日: 2016-11-24 (木) 16:28:27 (2681d)
概要
明治後期からの外国種牛の導入によって、飼育牛の早熟性が大きく伸び、体積が増大しました。しかし、約20年が経過する頃には、この外国種交雑も整理段階を迎えました。それは「外国牛即改良牛」「雑種即改良牛」という単純な理想だけで出発した制作の甘さであり、農家の実態に即しない理想牛の目標設定から生じた問題でした。また、使役牛としての能力低下や、大量の飼料消費による農家経済の圧迫なども大きく影響したと見られています。
そこで、東京帝国大学農学部の岩住良治教授の「和牛はすでに相当外国の血統が混ざり、有料遺伝子も包含されている。これを固定する段階にある。」という提言もあり、農商務省は外国種交雑による改良方針を大きく転換することになりました。
品種改良の固定化
岩住教授は「まず改良の目標である標準体型を定め、各種牛を登録して品種改良の固定化を図ることが大切」と主張し、これを受け、大正12年に全国的な種牛の調査が実施され、標準体型の設定と種牛登録が行われました。熊本でも多数の肥後牛を測定し、そのデータを基礎にして「赤毛肥後牛登録規定」が制定されました。
しかし、登録制度導入直後(大正末期)は深刻な経済不況期であり、畜産農家の経済状況もどん底でした。また、登録に関する農家の知識や理解も乏しく、赤毛肥後牛の登録事業はなかなか進展しませんでした。
登録事業が名実ともに軌道に乗ったのは、物価統制が厳しくなった昭和16年以降でした。それには、政府が登録の進度に応じて価格に差をつけたことが大きく影響したとみられます。
昭和19年、中央における登録審査会で和牛の品種が3つに固定されました。「褐毛和種」「黒毛和種」「無角和種」の3種で、肥後のあか牛は褐毛和種として全国的に認知されました。
索引 : あ
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