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銀杏墓(いちょうばか)の話
更新日: 2011-09-12 (月) 10:44:54 (3508d)
雨のしょぼふる夜、村の若者が集まり世間話(せけんばなし)をしていた。そのうちに一人の者が
「度胸(どきょう)だめしをしたらどうか。」
と言い出した。他の者も連日の雨で野良仕事(のらしごと)も出来ず昼間から体をもてあましていたので
「それはよかろう。面白(おもしろ)かろう。」
と全員話はすぐまとまった。
道筋(みちすじ)は上井手(かみいで)のお畑をへて藤藪(ふじやぶ)を通って、西の墓地(ぼち)に行き、そこにいぐいを打ち込んで帰って来ることになった。お畑というところは、川があり大きな木がこんもりと茂り、夜になると川の中からキンシャキキンシャキと丁度(ちょうど)あずきを洗う時の音が聞こえてくるので、あずきとぎがでると噂(うわさ)された。しかし音は聞いても正体を見た者は誰一人いない。
ここを右折して原口(はるぐち)を通り、部落はずれに藤藪という所がある。ここは大木(たいぼく)が両側から迫り藤かずらが木にからみつき昼でもうすぐらく人通りは少ない。
夜になると馬の首が下がり、ちょうちんを下げてここを通ると、ひとりでに灯が消えるといわれるこわい所。昼でも女子どもはここを通らず回り道をするとか。
藤藪をへて田んぼ道を西へまっすぐ行った所が西の墓地である。早速(さっそく)村中(むらじゅう)で1番とび上がりオッチョコチョイの若者が行くことになった。
みのかさに裸足(はだし)で着物の裾(すそ)をはしょり、いぐい1本にどんじを肩にかつぎ、足早(あしばや)にでかけた。村の衆は待てど暮らせど若者が帰って来ないので心配してみんなで見に行った。そこにはみのの裾をいぐいと一緒に打ち込んで気絶(きぜつ)した若者がいた。
仕事を終えていざ帰ろうとしたら、すそを引っ張られてっきり死人がひっぱったと早合点(はやがてん)したとか。翌朝は雨も止み、村の者が墓地に行ったら昨夜いぐいを打ち込んだ場所に1本の銀杏の木が生えていた。それからこの墓を銀杏墓というようになった。今でも銀杏の大木(たいぼく)が茂っているが実はならない。
参考
索引 : い
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