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阿蘇の虎舞(狩尾)
更新日: 2011-08-29 (月) 20:06:02 (4596d)
阿蘇の虎舞い(狩尾)
県指定 昭和61年1月14日
狩尾地区の虎舞いは、もと一区~三区の各地区で舞われていましたが、現在は狩尾二区のみが、虎舞いを伝承しています。
狩尾二区には、二組の虎舞いがあったそうですが、昭和五四年になって狩尾二区の虎舞いとして復興し、上の小屋の囃子と舞い方に統一して演じられています。
起源は不明ですが、明治八年に上の小屋の氏神として弁財天を建てたとき、人数が足りないので牛舞いをして、明治十年に県道が開通したときは虎舞いを舞ったということです。
大正7年1月25日豊肥線の開通式や、昭和三年熊本放送局の開局祝賀会には、楽ばかりで参加されています。
昭和23,4年くらいまでは虎舞いを演じていましたがその後中断し、昭和34、5年ごろには青年団が小国へ行って阿蘇郡で優勝したという記録も残っています。
熊本のNHKでは、肥後俄の「運船組」と組になって演じ好評を博しました。
狩尾二区の虎舞いは、一頭の虎に三人立ち、四人立ちをして舞ったこともあるということですが、舞い方の足があいにくく、その練習は大変だったろうと思われます。六人立ちで舞ったこともあったということですが、家入藤熊氏から教わっていたころは、三人立ちで舞っていました。現在は二人立ちで舞っています。
藤熊氏は、家入駒寿さん(黒流)の三男で、家入家はその他の地区にも虎舞いを教えて回られる虎舞いの師匠格の家であったと考えられます。
- 囃子
- 笛 明笛 大太鼓 三味線
- 演目
- 壁塗り 竹田囃子 出端 曲相撲 お膳舞い 玉とり 三段つぎ
※曲相撲
青年二人がゆっくりしたテンポに合わせ踏みかえ足で出て、手を取り合って曲相撲を演じる。二人が一体となって回転したり、一方の上をとびこえたりする曲芸的な演技である。
参考
~文化財を大切に~ みんなで護ろう文化財
索引 : あ
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