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阿蘇一揆と産業
更新日: 2015-09-17 (木) 16:27:49 (3137d)
概要
人口
明治10年(1877)の阿蘇郡の総人口が64,709人、戸数13,362戸でした。明治10年の人口が100人以上の町村が阿蘇郡内に12町村あり、このうち内牧は前年に比べ人口は56人増加しています。内牧は郡内で最も人口、戸数が多い町であり、江戸時代以来宿場町として繁栄し、坂梨、宮原、馬見原、高森、津留とともに交通の要衝でした。坊中と宮地は門前町として栄えてきました。こうして江戸時代以来、行政や交通の中心地には人口が集中しており、六小区の波野郷を除いて各小区に1ヶ所の人口集中地がみられ、その半数は戸長役場の所在地でもありました。
産物
阿蘇郡における明治10年の農産物は、米穀類を除き商品作物をみると県下郡別の生産額において阿蘇郡は葉煙草と菜種は第1位、製茶は第2位(1位は八代郡)です。このうち煙草は50万斤以上生産する全国11郡のうち、下野(栃木県)那須郡(1,786,000斤)、磐城(福島県)田村郡(877,000斤)に次いで阿蘇郡は第3位(749,000斤)を占めていました。阿蘇郡の葉煙草はすでに嘉永年間長崎から海外に輸出されていました。明治6年2月、阿蘇商社が南郷谷の有志や富豪30余人の出費(4万円、現在の価値で8億円)を得て設立されました。阿蘇商社が集荷した葉煙草とその製品は海外に輸出されていました。明治9年には米国フィラデルフィアの万国博覧会に葉煙草と巻煙草を出展し褒状を受けています。
阿蘇の葉煙草生産に重要な役割を果たしていた阿蘇商社は明治27年ごろには衰退しています。
製茶をみると、県は廃藩置県後、阿蘇郡宮原(現・小国町)に製茶伝習所を置き、製茶改良を指導していました。
阿蘇郡は米の半等収量の低さを食糧においては
阿蘇一揆はこれらの新興金納郷土や村内上層の農民を指導層とし、村方の小作貧農や町方の日雇職人層など下層民を主体として世直し的な性格をもった農民一揆として展開しました。
生産物 | 生産量 | 単位の価 | 金額 |
米 | 42,309石187 | 4円429 | 187,387円389 |
糯米 | 4,004石506 | 4円609 | 18,456円768 |
大麦 | 3,019石281 | 1円522 | 4,595円345 |
小麦 | 3,596石657 | 2円783 | 10,009円496 |
稞麦 | 7,947石556 | 2円457 | 19,527円145 |
栗 | 6,590石005 | 2円122 | 13,983円990 |
黍 | 119石498 | 1円842 | 220円115 |
稗 | 11,092石007 | 1円329 | 14,741円277 |
大豆 | 5,731石921 | 4円405 | 25,249円112 |
蕎麦 | 2,461石900 | 1円354 | 3,333円412 |
蜀黍 | 53石900 | 2円313 | 124円670 |
玉蜀黍 | 2,831,344斤0 | 0円0058 | 16,421円795 |
甘藷 | 1,664,652斤5 | 0円0052 | 8,656円193 |
馬鈴薯 | 11,092斤5 | 0円007 | 77円647 |
麻 | 53斤065 | 0円94 | 49円881 |
繭 | 2,448斤0 | 0円302 | 739円296 |
生糸 | 239斤45 | 6円368 | 1,524円817 |
藍葉 | 6,198斤0 | 0円41 | 2,541円180 |
製茶 | 50,212斤5 | 0円37 | 277,285円585 |
楮皮 | 82,978斤0 | 0円039 | 3,236円142 |
葉煙草 | 749,420斤5 | 0円37 | 277,285円585 |
菜種 | 17,077石551 | 3円679 | 62,828円310 |
人参 | 1,845斤0 | 1円43 | 2,638円350 |
椎茸 | 4,382斤0 | 0円34 | 1,489円880 |
蜂蜜 | 1,320斤0 | 0円049 | 64円680 |
参考
カテゴリ : 文化・歴史索引 : あ
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