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中通古墳群

概要

中通地区の北外輪山から南側へ突出した象ヶ鼻(ぞうがはな)の麓に小高い山があり、その山は小嵐山と呼ばれています。この小嵐山の頂上から南側を見下ろすと、田んぼの中に盛土をした大きな築山のようなものがいくつも見られます。これが中通古墳群です。
 中通古墳群の中には、丸い形に盛土した円墳(えんふん)と、前方部が方形で後方部が円形の盛土を接合したような形の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の2種類があります。現在、古墳としてはっきり形をとどめているものは、円墳8基と前方後円墳2基の計10基ですが、明治期の調査によれば14基以上があったとされています。熊本県は大切に保護して将来に保存するため、約1500年の歳月ほぼ昔のままの姿を残している古墳群を、昭和34年に史跡として指定しました。
 中通古墳群は5世紀から6世紀にかけて造られたものとされ、古代の阿蘇地方を開発し、支配した豪族「阿蘇の君」一族の墓であろうと考えられています。中心的なものは長目塚で、県内最大級の前方後円墳です。それを越える規模のものは県内に見当たらないため、豪族の勢力がいかに大きなものであったか想像できます。また、前方後円墳の出現は、大和朝廷の影響が及んだことを裏付けています。
 長目塚は現在、後円部と短い前方部をもつ帆立貝のような前方後円墳へと姿が変わっています。度重なる水害により河川の改修工事を行うことが決まり、昭和24年に前方部の大部分が切断されたためによるものです。
 改修工事の際には前方部の発掘調査(はっくつちょうさ)も行われ、県内の開発事業による調査の第1号となりました。発掘調査が進む中、前方部の一番高いところに石室(せきしつ)が見つかり、埋葬施設(まいそうしせつ)全容(ぜんよう)が姿を現しました。被葬者(ひそうしゃ)は石室のほぼ中央に埋葬されていて、成人の女性と鑑定(かんてい)されました。更に、多数の副葬品(ふくそうひん)も見つかり、勾玉・管玉・内行花文鏡・直刀等の貴重な品々は、長目塚出土品として市の有形文化財(ゆうけいぶんかざい)に指定されています。

1)長目塚
前方後円墳 墳長:111.5m 最大高さ:9.9m
2)勝負塚
前方後円墳 墳長:58.7m 最大高さ:11.4m
3)車塚A
前方後円墳 墳長:47.0m 最大高さ:8.0m
4)車塚B
前方後円墳 墳長:16.0m 最大高さ:2.3m
5)入道塚
前方後円墳 墳長:25.0m 最大高さ:4.5m
6)銭亀塚
前方後円墳 墳長:13.0m 最大高さ:2.5m
7)上鞍掛塚A
前方後円墳 墳長:65.5m 最大高さ: 5.5m
8)上鞍掛塚B
前方後円墳 墳長:25.5m  最大高さ:3.8m
9)鞍掛塚A
前方後円墳 墳長:33.0m 最大高さ:4.4m
10)鞍掛塚B
前方後円墳 墳長:21.5m 最大高さ:4.15m

写真

参考

~文化財を大切に~  みんなで護ろう文化財



カテゴリ : 文化・歴史
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