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上御倉・下御倉古墳

概要

(かみおぐら・しもおぐらこふん)は、墳丘(ふんきゅう)や石室(せいしつ)の大きさ、構造などが酷似(こくじ)しており、を少し小さくしたものが、です。
における調査では、墳丘直径33m、高さ5.28m、横穴式の石室(せきしつ)は全長10.22m、前室2.35m(奥行き)×2.5m(巾)、後室3.6m(奥行き)×3.18m(巾)、後室の天井の高さは3.7mでした。
後室は入口から続く通路と、それに面して両側と奥に死者を安置(あんち)する長方形の空間からなり、特に奥の空間は両側に板石を立て、屋根石をのせた石屋形のようになっています。石材には加工のしやすい阿蘇凝灰岩(あそぎょうかいがん)が後室内の仕切りをする石材、石屋形のどの切り石に利用されており、他の部分には安山岩(あんざんがん)が使用されています。
また、前室の入口を塞(ふさ)いでいた長方形の板石には外側の面に絵が描かれています。板石の上部に白色で山のような描写(びょうしゃ)があり、その下は一面に薄(うす)い黄色で色を付け、その中央部に小さく、両手を広げた濃い黄色の人物像が描かれています。
この2基の古墳は考古学(こうこがく)の世界では巨石古墳(きょせきこふん)と呼ばれ、巨大な自然石(しぜんせき)や切り石を用いて横穴式石室(よこあなしきせきしつ)を造ったもので、6世紀後半から出現します。この時期には、中通古墳にもみられる有力者の墓に大きな前方後円墳を必ずしも採用しないようになり、内部の石室の装飾(そうしょく)や大きさなどに重点が移った巨石古墳が有力者の墓に採用されるようになります。
熊本県内においても、和泉町の穴観音古墳(あなかんのんこふん)、山鹿市の弁慶ヶ穴古墳(べんけいがあなこふん)、氷川町(ひかわまち)の大野窟古墳(おおのいわやこふん)(県下最大の横穴式石室)などが各地域の中心的な古墳として知られています。これらの古墳の石室規模(せきしつきぼ)ととはほぼ共通です。
6世紀後半に県内最大級の巨石古墳が2基同じ場所につくられており、強大な力を持った有力者が葬られたことは容易に想像できます。両古墳に葬られた人物は、「古事記」などにみられる「阿蘇の君(阿蘇国造の氏姓)」として大和政権(やまとせいけん)から認められた大豪族(だいごうぞく)だった可能性も考えられます。
18世紀後半に作られた「」の「阿蘇宮由来記」によれば、崇神天皇(すじんてんのう)の代に阿蘇国造となった速瓶玉命(はやみかたまのみこと、の祭神であるの第一子)が、景行天皇の勅命によりを修理し、再建したとされています。また、当地の伝説によればが速瓶玉命、が速瓶玉命の妃である雨宮の墓とされています。

所在地情報

標高550m 北緯32° 59′ 21.4″ 東経131° 7′26.6″(60進法表記)

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更新日: 2015-01-20 (火) 11:38:18 (4020d)