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鬼八神話(きはちしんわ)

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霜宮の鬼八伝説

阿蘇大明神(健磐龍命)に使える鬼八法師は大明神が的石(旧・阿蘇町)を的に蛇の尾山から弓を射るたびに矢を取りに行っていたが、疲れてしまい、足の指に挟んで矢を投げ返した。投げ返した矢は大明神の足に当たってしまいました。大明神が怒って追いかけ鬼八は逃げ走り、高森に到ると岩を穿って天へのぼり、霜を頻りに降らせた。そこで霜宮に祀ってその体を綿に包んだ。肌を温めるための火焚きが疎略になると早く霜を降らせると伝えられています。
実は鬼八は99本目までは拾って持って行ったが、疲れて100本目は足で返した。高森から矢部に逃げて8回放屁したので「八屁」から「矢部」の地名となったという。大明神に討たれた鬼八の首が天に昇って霜を降らすようになったので、火焚きをして首の傷を温めている等々、鬼八をめぐる伝説は数多く語り継がれている。
鬼八法師は現在ではキハチと呼んでいるが、その他に金八ボシ、キンパチ、オンハチボウシ、金八ブシ、キハチボシなど所々によって異なるよび方が伝えられている。

鬼八法師の話(古老が語る霜神社由来記)

とんと昔、九州のちょうど真ん中、火を吐くおやま阿蘇のふもとのお話じゃ。
阿蘇を開いた神様、健磐龍命はたいそうえらいお方じゃった。
阿蘇の火口にたまった大きな湖の水を流しだして、広い田畑を作り、悪者を追い払い、みんなが安心して暮らせる国にされた。
そこで、誰でも健磐龍命のことを阿蘇大明神様と呼んでうやまい、親しんだのだ。
 命は毎日弓のけいこ。往生岳杵島岳にお出かけになる。
鬼八、馬を引け!」
 そう声をかけると、家来の鬼八法師が馬を連れて来るんじゃ。
 鬼八は家来の中でも抜きん出た男で足の速いこと、国中誰もかなうものはいなかった。
命は、山のてっぺんから、大きな弓に矢をつがえ、阿蘇谷北外輪のふもとにある的石めがけて射かけるんじゃ。
 矢はうなりをあげながら、ふもとの野原や森を超え林を超え、さらに遠く田畑を超えて飛んで行く。
 ねらいたがわず、的とされた大岩に矢はぐさりと突きささった。
鬼八、とってまいれ!」
 さすが、矢取りの鬼八と異名を取ったほどの男、自慢の足で阿蘇谷を一またぎ、的石めがけ、それこそ矢のように走って行く。
「命、取って参りました。」
「ようし、いまひと矢いくぞ。」
 大きく引きしぼった弓づるから、矢は勢い良く飛び出した。
 二の矢、三の矢、続けざまに九十九本、そのたんび鬼八法師走りに走ったんじゃ。
「何ぼ家来だからと言ったって、こう何回でん取りにやらされちゃあ、体が持たんわい。」
 吐き捨てるようにつぶやいた鬼八、百本目の矢を足の指にはさんでなげ返した。

 命はすっかり腹を立てた。
鬼八め、血迷うたか。事もあろうに主人の矢を足げにしたうえ、傷を負わせるとは何事ぞ。さてはむほんの心おこしたか。」
大きな声で叫びながら、さっと馬にまたがると鬼八めがけてかけ寄った。
 まさか、主人に矢が当たるとは。鬼八法師はびっくり仰天、思いがけない成りゆきに後をも見ずに逃げ出した。
鬼八待てえ、成敗してくれるう・・・。」
 阿蘇谷中逃げ回ったあげく、阿蘇五岳東の端、根子岳のオクドをけやぶって矢部の辺りまで逃げ込んだが、とうとうつかまったんじゃ。
 しかし、鬼八もただものじゃあない。押さえつけられた弓矢をはねのけると、窓の瀬という所で、五ヶ瀬川をはさみ戦うことになってしもうた。
 いままで、主人としてうやまい、家臣としてもっとも信頼していた者同志の戦いとは悲しい限りじゃのう。
 鬼八はとうとう倒されてしまった。
 だが不思議なことがあるもんじゃ。首を落とされると首はまたもとどおりくっついてしまう。なんぼ腕を切っても、足を切ってもみんな吸いよせられるようにひっつくのだから、神通力とでもいうんだろうな。
 この話は鬼八法師の、執念の恐ろしさを表しているんだろうが、鬼八を埋めたとされる、鬼塚という地名が、あちこちに残っているというのも何かの因縁というものじゃないかね。
 命に倒され、鬼八の霊は空に昇って行った。
 やがて、冬がま近かに迫ってくる頃になると、鬼八の傷は痛んでくる。
 思いがけない出来事のために倒されてしまった鬼八は、悔しくてたまらない。寒さのために傷口が痛むたんび、恨みの霜を降らすんじゃ。阿蘇谷はちょうど稲の穂が、黄金の波をうねらせながら、たわわに実る頃、怒りをこめた霜がおそってくる。
 お百姓達は田んぼの周りを唯おろおろと歩き回るばかりじゃった。
 そこで、命は鬼八の霊に呼びかけられた。
鬼八法師の霊よ。お前の傷の痛まぬよう火を焚き続けるから、霜を降らせないでおくれ。」
 阿蘇谷のちょうど真ん中、役犬原に霜の宮という社をおたてになって、鬼八法師の霊を慰められた。
 霜の宮の火焚き所には今でも、幼い女の子が五十九日間火を絶やさぬよう、おこもりを続けているんじゃよ。
■出典
・阿蘇の神話と伝説 阿蘇ん話Ⅲ
発行日:平成5年3月1日発行 編・著:高橋佳也 発行:旧一の宮教育委員会

高千穂神社と鬼八

宮崎県高千穂地方にも鬼八の話があります。
「十社大明神記」によれば、窟に住む「きはちふし」と呼ぶ鬼を正市伊様が切り取って埋め、八尺の石を押さえにするが生き返るので3つに切り、3ヶ所におさめたという。
建武5年(1338)に肥後国の了観が著した「高千穂十社御縁起」には、「きはちほうし三千王」あるいは「きんはちほうし」を十社大明神が攻めて退治したとあります。

鬼八の本名は走建(はしりたける)で、大蜘蛛でしたが、高千穂の都を領して民を悩まし美女を求めて乱行限りなかったので、三毛入野命に退治された。殺された体がいくたびも一つになるので、所々に分けて埋められましたが、その一所は肥後国にあり、半身が埋められた所(霜の宮)で霜の祭を行っている。13以下の娘が竈を取り、8月から9月に及ぶまで毎夜塚に火を焚く。この祭りに仕える女児に村民が霜が遅い時には稲数束、霜が早く降りる時には藁数束を与える。鬼八は霜を随意にできる神と書かれている。阿蘇の霜宮の火焚き神事をさしていると思えるが、鬼八の首塚にかつて「鬼八申霜宮是也」の石があったことと関連づけて記述しています。

吉備津神社の釜鳴神事

岡山市の吉備津神社にも阿蘇にまつわる伝説が語られています。吉備津神社の祭神吉備津彦命は、「日本書紀」崇神天皇十年九月の条にある天皇に従わない者を平定するために派遣された四道将軍の一人である。伝説によれば、吉備津彦命は山陽道の吉備国で異国から住み着いた「温羅」と名乗る鬼神を退治しました。その首を釜殿の下に埋めたが、温羅の首のうなり声が13年間やむことがなかった。命の夢に温羅が現れ、妻の阿曽媛(阿曽郷の祝の娘)に釜殿の神饌を炊かせよ。幸あれば釜が鳴り、災いある時は鳴らないと告げた。以後、御釜殿に奉仕する巫女は阿曽郷の女性が選ばれ、阿曽女と呼ばれるようになったといいます。

映像 ①

映像 ②

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-

外部リンク

高千穂町
吉備津神社


カテゴリ : 文化・歴史
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