茅場
茅葺屋根の材料になるススキを収穫する目的で管理されてきた草地を、阿蘇では茅場または茅切場と呼んでいます。茅葺きの家は夏涼しく冬暖かい。また、材料の茅は入会地の茅場から手軽に入手でき、瓦のように金銭の出費がありません。瓦屋根やトタン屋根が普及...
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茅葺屋根の材料になるススキを収穫する目的で管理されてきた草地を、阿蘇では茅場または茅切場と呼んでいます。茅葺きの家は夏涼しく冬暖かい。また、材料の茅は入会地の茅場から手軽に入手でき、瓦のように金銭の出費がありません。瓦屋根やトタン屋根が普及...
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野焼きは、毎年3月に草原に火をつけて枯草(かれくさ)を焼き、新しい草を生やして新鮮な草原を維持するために行います。野焼きの他にも、4月から12月にかけて草原に牛馬が放牧され、8月から9月に森林や建物に火が燃え移らないように防火帯(ぼうかたい...
草原は、阿蘇の農業や暮らしの営みのなかにガッチリと組み込まれ、欠かすことの出来ない重要な役割を果たしてきました。そこで育ったススキやネザサ、トダシバなどは牛馬の飼料(生産資材)となり、これらを畜舎の敷料として厩肥(有機肥料)を得ます。さらに...
野草堆肥とは野草を原料として作られた堆肥のことをいいます。ここで言う野草とは草原の野草地にあるススキ等のことです。野草堆肥にはいろいろな作り方があります。
太古の牛骨が県内で初めて発見されたのは昭和31年5月のことで、緑川流域で奈良時代の人骨と一緒に出土しました。およそ1頭分ほどの骨が全量、住居跡と思われる遺跡のすぐ近くに残されており、これによって遅くとも奈良時代には牛が家畜として飼育されてい...
牛馬を引いて8㌖の草原を歩き、さらに外輪山の木落坂を降りる・・・。外輪山上の荻の草集落の人々が、阿蘇谷の原口集落に着くまで約3時間を要しました。牛馬の鞍に積んできた干ししいたけや木炭、竹の皮、竹ヘごで結束した薪などを降ろし、南部・村上の2軒...
外輪山上に連なる草原が尽きる旧一の宮町と南小国町の町境、志賀瀬川の渓流にそって僅かに開けた水田とともに、下荻の草、舞谷(ももたに)、合戦群(かしのむれ)、矢加部の約30戸の集落が点在しています。ここで暮らす人々は草原に走る1本の野道をたどり...
平成元年から2年にかけて、阿蘇中岳の噴火が活発化しました。気象庁阿蘇山測候所の推計によれば、この噴火活動による火山噴出物は約800万トン。阿蘇山麓の放牧地では、草や牛馬の体にうっすらと火山灰が積もり、牛の健康が懸念されました。そこで、農家は...
平成2年の牛肉輸入自由化以来、国内では子牛価格の低迷が長期化しました。また、生産農家の高齢化もますます深刻化し、全国的に農家の"牛離れ減少"が相次ぎました。 阿蘇での畜産の優位性は、何よりも広大な草原を利用した放牧によって省力・低コスト化が...
放牧場の牛は、1日に体重の約10%もの草を食みます。それだけに排泄物の重量も多く、糞で体重の約5%(30㌕)、尿で約3%ほどが毎日排泄されます。排糞の回数は1日に15回ほどで、1回の糞の重さは平均2㌕。さらに具体的な数字で示すと、排糞は草地...
阿蘇の草原を歩いているとあちこちで土塁と出会います。繁った草の中を縫うように走る細長い土のラインを昔から地元では「土手」と呼んでいます。 数ある土塁のなかでも特に目立つのが、米塚の頂部を南北に走る土手です。バスに乗った観光客などの目にもよく...
およそ30万年前、阿蘇山が噴火し、その後も9万年の間に4回もの火砕流噴火が起こった。これにより阿蘇山は大量のマグマを噴出して地盤が陥没。こうして出来上がったのが阿蘇の大カルデラです。 カルデラはもともと、急な崖に囲まれた火山性の凹地のことを...
昭和28年6月26日、阿蘇地域は未曾有の大水害に襲われ。草原に通じる牧道が各地で崩壊し寸断されました。農業の生命線ともいうべき坂道が使えなくなり、農家は大きな不安をいだきました。 この対策として、補助事業により昭和29年から30年にかけて設...
水稲の収穫が終わると、阿蘇では一息つく間もなく冬が訪れます。この時期は、冬を越すための大切な準備作業に取りかからなければいけません。牛馬の飼料である干し草を草原から学ぶ「干し草うせ」という仕事が待っています。 多い人は牛を3~4頭も連結して...
草原で刈り取った干し草を牛の背中に積み、外輪山にかかる坂道を降りて家路に向います。 牛は記憶力の良い家畜なので、帰り道を覚えています。人が先頭に立って手綱を引かなくても、牛は道を間違えずにかえって行くことができました。 牛を先頭に坂を降りる...
阿蘇で畜産の経験がない人は恐らくピンとこない言葉で、よこい場とは、よこう(休憩する)場所のことです。外輪山上の草原に通じる急な坂道をジグザグに30分も登ると、標高700㍍台に達し、人も牛馬も呼吸が荒くなり一休みしたくなります。そうした場所に...
干し草の1農家当りの貯蔵量は、農業経営のなかで特に重要な要素でした。牛馬の飼育頭数や厩肥の生産量、ひいては水田単作地帯の米の生産量にも波及していたからです。 古くから言われてきたように、干し草の量と耕地の生産性の間には次のような連鎖関係があ...
刈られた野草は2~3日間、天日で乾燥されたあと、稲手で結束します。その後、1つの草小積に積み上げられます。農家の人々は急傾斜地であろうとも、草小積を垂直に積み上げる技術をもっていました。草子積みの最上部には、干し草を雨から守るためにススキが...
正方形をした「繋ぎ厩」では、牛の頭を壁側にして係留しました。成牛1頭当たりの占有面積は約4平方㍍。厩肥の大量生産と冬の保温を目的に床を深く掘り下げた構造で、阿蘇の伝統的な畜舎構造となっています。 飼料の干し草を投げ草で与え、食い残した草が牛...
干し草刈りに先立ち、まずは野分けという作業が行なわれます。野分けとは、共同利用している採草地の土地配分のことです。各農家の牛馬飼育の規模、牧道からの距離、草立ちの状態など、さまざまな条件が加味されて配分されます。区画は草原の尾根や谷など地形...
こって牛は今の耕運機やトラクターに相当する働きをしていました。体格が大きく足が頑丈なため、けん引力に粘りがありました。とくに湿田で威力を発揮し田を鋤きました。こって牛の耕起能力は湿田で一日15㌃、畑で一日30㌃といわれています。利口な牛は飼...
昭和40年台の初期まで、草刈りには「ザツガマ」(雑鎌)と呼ばれる大型の鎌が使用されていました。刃渡り37cm、柄は使う人の体格にあわせて長短がありましたが、概ね90cmくらい。山で探した手頃な杉の幼木を、自分で削って柄を作っていました。 こ...
昭和初期は歴史に残る不況のどん底で、この頃の農家は化学肥料の使用料増加に伴う支出増と、田畑作物の作柄や価格の不安定に悩まされていました。また、生活水準もアップし、家計の現金支出は年々増加。これらに対応すべく、農家では恵まれた草原を有効利用し...
阿蘇の野焼き面積が年々減少してきている現実があらためて浮き彫りになりました。その原因は先に述べたように農業人口の減少、ムラ体制の弱体化などが挙げられますが、さらに農業の経営構造の変化も拍車を掛けています。 畜産農家では以前、冬に牛馬に与える...
生まれてから60年後の干支に里帰りをすることです。 このとき数え年61歳の祝いを行います。還暦祝い、華甲の祝いともいいます。 阿蘇地方では61歳の時、木綿か麻の着物を新調します。上益城郡嘉島町では61歳の6月1日に還暦の人に近親者や知人たち...
木製部と鉄製刃の組み合わせで構成される風呂鍬の一種。木製(堅い木)の風呂に四角形の柄つぼを掘って木製の柄が付いています。田畑の耕起に使われ、土地(土壌)条件によって刃長と刃幅が異なります。 阿蘇、菊池地方の火山灰土壌には刃幅の広いもの、天草...
田や畑などで仕事をする時に着用する着物のことをいいます。現在はほとんど洋服になり、それ以前の野良着は姿を消しつつあります。
広大な草原を焼き払う野焼きは、極めて危険な作業です。燃え盛る炎は高温なうえに高速。 平均的な草原(枯れ草の残存料が10㌃当たり500㎏程度のススキ型草原)でも野焼き時の温度は摂氏600~800度に達し、延焼速度毎分0.2~8㍍になります。風...
阿蘇の草原には、牛馬の放牧がされています。 阿蘇は、全国でも有数の肉用牛生産地で、約40000頭飼育されているうちの、10000頭が放牧されます。あか牛は雨の多い6月中旬から7月中旬頃は、特に野草を好んで食べるようですが、こうして牛が食べる...
♪この子の母の羽衣は 千把小積の稲の下 聞くより早く天女姫 羽衣採りだしさようなら 恋しくば訪ねてござれ 宮山の森の中 というて天女は昇り行く ネンネンヨ ネンネンヨ この子の母の羽衣は 千把小積の稲の下 ネンネンヨ ネンネンヨ ♪この子が...
リンドウ科センブリ属 2年草 高さ20cm 茎は紫色をしており四角い、茎は株もとから数本発生し、3cmほどの葉を対生させます。 センブリの名前の由来は、千回振り出しても(煎じても)まだ苦味が残っているということからつきました。
阿蘇地方では盂蘭盆(7月15日)に先祖の霊前に盆花として野の花を供える習慣があります。
どんぐり山の どんぐりじいさん ポッタリ ペチャンコ ころころ ころころ ころげて 出かけましょ どんぐり山の どんぐりばあさん 私も ついでに ころころ ころげて 出かけましょ
今日から一人でねんねしよう ねいやはお里へ 行ってしもうた 母さんは お墓で おねんねよ 今日から 一人で ねんねしよう おとぎ話も 出来ないが 楽しい夢よ 来ておくれ 今日から 一人で ねんねしよう お手々の枕も 出来ないが 静かな 眠り...
1.カッタカナ槍は 清正公 ナギナタ 持つは 弁慶よ お馬にまたがる 金太郎 ああ勇ましい その姿 2.しょうぶも軒に つるしましょう 神酒(みき)もちまきも 供えましょう そうして戦の 神様に 我等の武運 祈りまし...
私の二つの お人形は 一つは 郡の おば様に 送って貰った 京人形 清き流れの 賀茂川や 春は 花咲く 東山 秋は 紅葉の 嵐山 郡 生れの 京子さん 緑の黒髪 ふさふさと 友禅 模様の着物着た 本当に 可愛い 人形よ
村をはずれ の水車(みずぐるま)の小屋に 日がな一日 うたう声 ザブザブ落ちる 水の音 トントン響く 杵の音 年(ねん)が年中(ねんじゅう) 休まない伍一じいさん まない
小窓をあけて眺むれば 西の空には赤星が やっぱりひとりで泣いている わたしゃ野に咲く名なし草 あなたはみ空の一つ星よ どうせそわれぬ仲なれば そっと小声で呼んでみよ よしましょ止めましょ忘れましょ 涙にぬれる 恋なれば きれいにぬぐって す...
一.身を切るような 北風の 吹く夕暮れに 姉妹 帰りを急ぐ 野中道 八つばかりの 女の子 袂を顔に押し当てて 一人 しくしく 泣いている 二.姉のおつるは 立ち寄って 何でそんなに 泣いている もしお腹でも痛いのか 落し...
奈良の奈良の 大仏さんに 雀が三羽 とまって 何と言うて 鳴いてます チュッツ チュッツ チュッツ チュッツ 一羽の小雀は お鼻にとまって 高い高い お山だよ チュッツ チュッツ チュッツ チュッツ 一羽の小雀は お耳にとまって 暗い暗...
一番はじめは一の宮 二又 日光の東照宮 三は 桜の宗五郎 四又 信濃の善光寺 五つ 出雲の大社 六つ 村々鎮守様 七つ 波子の不動山 八つ 大和の八幡宮 九つ 高野の弘法山 十は 東京の本願寺
1.ここはお国を何百里(なんびゃくり) 離れて遠き満州(まんしゅう)の 赤い夕日に照らされて 友は野末(のずえ)の石の 2.思えばかなし昨日(きのう)まで 真先(まっさき)かけて突進し 敵を散々(さんざん)懲(こ)らした...
暗い み空の 流れ星 どこへ 何しに 行くのでしょう 林の果ての 野の果ての 誰も 知らない 湖に のどの 渇いた お星様 お水を のみに 参ります
ああ腰の痛さよ 大せまちの長さ ああ四月五月の 日の長さ ああ四月五月は ねてさえねむい ああさぞや かかもちゃ ねむてじゃろ
1.父は尾張の 露と消え 母は 平家に とらえられ 兄は 出海に 流されて 己一人は 鞍馬山 2.仇の 平家を 滅ぼして 我が家 源氏を 起こさんと 昼は学問 剣術の 人目をしのぶ 夜の業 3.七つ道具を 投げ出して...
一.昔恋しい 銀座の柳 仇な 年増を 誰が知ろう ジャズで 踊って リキュールで更けて 明けりゃ ダンサーの 涙雨 二.恋の 丸ビル あの窓あたり 泣いて 文書く 人もある ラッシュアワーに拾ったバラを せめて あの...
雲雀は歌い蝶々は踊る 春の 野山に 遊ぶは嬉し ここには よめ菜 ここには つくし たんぽぽ すみれ レンゲソウ 花をば 摘みて 草をば取りて 家の母さんの おみやにしましょ
くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集- くらしのあゆみ 一の宮 -一の宮町 伝統文化研究会-
ぺったん ぺったん やれつけ それつけ 黄金(こがね)の臼やら 金の杵 搗きますお餅は 十三七つ お月様にも 上げましょう お月様にも 上げましょう